正義感が強すぎるのは面倒

正義感が強すぎる人というのは自分の感覚への信頼が非常に厚い人です。

正義というのは本来は決まった観念が存在するわけではなく、何が正義か?という部分は人によって異なるのです。

だから、本来はそれぞれが主張する正義があるのが自然であり、お互いの正義がそれぞれ正義として成り立つことを尊重し合うべきとも言えます。

しかし、正義感が強すぎる人は自分の感覚によって芽生えた正義こそが正義であり、それ以外の正義を認めようとしないのです。

多様性のような概念が欠如しているため、自分の感覚によって正しいと思ったこと、間違いだと思うことがそのまま通用すると考えてしまいます。

だからこそ、正義感が強すぎる人は自分の正義が絶対に正しいと主張し、それ以外の人間の正義を否定しようとするのです。

正義感が強すぎる人の心理や特徴には自分の感覚こそが正しいという、非常に厚い信頼という部分が存在しているので、そこからその人の考え方を変えるというのは難しいです。

自分がこれまでずっと正しいと信じ込んできているものなので、それが間違っていると言ってもなかなか聞いてくれないでしょうから。

自分の感覚を基準にして、共感できるものが正しく、できないものは間違っているという判断を無意識にやると、いわゆる正義感が強すぎる人、かつ面倒な人という扱いになってしまいます。

正義感の押し付けは控えたいところ

誰もが、程度の差はあれど、正義感が強い人というものを見たことがあると思います。正義感が強いことは、もちろん、一般的には良いことといえるでしょう。正義感がない人、というより悪いことを平気でするような人は、周りの人にとって非常に迷惑だからです。けれども、正義感が強い人の中でも、特にそのこだわりが強すぎるがために、その価値観を人に押し付けるような人は、逆に周りの人にとって迷惑になりうるので、注意が必要です。

例えば、ベジタリアンの方が、「肉や魚を食べることが悪いことだ」として、その価値観を自分だけの中にとどめることなく、人に押し付けようとする場合などが挙げられるでしょう。ベジタリアンは、もちろん価値観の問題ですので、その良し悪しは人それぞれの正義感によるところでしょう。しかし、そのベジタリアンの方が、他の肉や魚を普通に食べる人たちを、自らの正義感に基づいて公然と批判を始めたらどうでしょう。攻撃された人たちは、非常に不愉快だったり、居心地の悪い思いをすることでしょう。むしろその状況では、攻撃を受けた側からは、正義感をかざす人たちが悪者に見えてしまうこともあるかもしれません。

正義感というものは、人それぞれの価値観によるところも大きいものなので、他人への過度の押し付けは控えたいところです。

正義感が強すぎる人は気をつけたほうがいい

正義感が強すぎる人は正直でいつでも正義を貫く、なかなかいい人と言えます。

例えば、学生時代においては正義感の強い人は校内で見られる「いじめ」を見逃すことができません。

いじめをしている人が自分の仲の良い人であっても、「いじめはよくないからやめなよ!」ときちんと注意できる尊敬に値する人です。

しかし、正義感が強すぎる人はよい行いをする良い人なのはたしかですが、融通がきないのが社会生活を送る上ではマイナス面となってしまいます。

例えば、会社で悪びれもせず、上司の間違いを指摘するなんてことをしてしまいます。

例え正義感を持っていたとしても、ここで、上司を批判すると社内の空気が悪くなるし、なにより、上司に恥をかかせることになるなど、いろいろな側面を考えて、行動しなくてはいけないのが正解です。

しかし、正義感が強すぎる人は「善か悪か」、「正しいか、間違いか」ということばかりに気を取られ、人の感情を考慮することを忘れがちです。

このような人はせっかく、いい人なのに、社会では煙たがられます。

ママ友関係においても、すぐに、おかしいと思ったことをボスママなどにはっきりと言ってしまうので、孤立しがちです。

正義感が強いのはすばらしいことですが、やはり、そこに思いやりの心や周囲の状況を考えて発言するという知恵がないと人生をうまくわたっていけないので、正義感が強すぎる人は気をつけたほうがいいでしょう。

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